【認知】イタリアの風彡

そろそろ2020年6月19日23時59分になるこの時間に、PCのmaterial等の整理をしていたら、なんと2006年にやっていたBLOG記事を発見!
イタリアから帰国して3年の僕の心持ちが伝わってきて、僕自身のことながら、なんとなくまたみんなに伝えたくなったので、今夜ここに再掲したいと思います!

このwith coronaの時代にはmatchしないかもしれないけれど、僕を知っていたり、僕と同じようにイタリアに行っていたり、あるいは僕と一緒にイタリアに行った人たちには、きっと郷愁nostalgiaを感じることができると思うんだよね!

イタリアのリハビリテーション臨床研修から帰国して3年が経過し、そろそろイタリアの病院で過ごしていた空気感を忘れそうになった頃に受けた””のおはなしです!

今日は風の話をしよう彡

僕が2002年に約1年間過ごしたイタリアでは多くの有意義な風を感じた。

Firenzeの温かな家庭の風!
Pisaの気持ちのこもったもてなしの風!
Romaでは文化の息吹を感じたし、
Schioでは大袈裟ではない街の賑やかさの風が吹いていた!
そして,Santorsoには認知運動療法の素敵な風が爽やかに吹いていた!

そんなSantorsoの風をつい4日前にも感じることができた.

先週9月16日から18日までの3日間,平成18年度のベーシック・コースを熊本で開催した(熊本ベーシック2006)。僕がコース・コーディネーターを兼ねていたのでコース講師は選定させてもらった.その中に、帰国の時期が微妙だったんだけれど、昨年9月からSantorsoへ研修留学していたA.T.氏を招聘していた。彼の帰国は8月末だったこともあり、コースに関しての打ち合わせはしていなかった。

帰国した彼とようやく話ができたのは9月12日。内容は特別なものではなかったが、何故か伝わるものがあった。彼が持ち帰ったものの中に、僕が意識経験したことのあるものがあったからだろう。言わなくてもわかるとはよく言ったものだが、この時は本当にそう感じた。これはS.M.氏が帰国したときと似ている。

この4年間で,僕ら(Shozo,Akiそして僕Koji)は1年間ずつSantorsoを経験した。言葉という難しい問題はあったが、イタリア特有の人びとの暖かさが支えてくれた。特に,認知神経リハビリテーションセンターVilla Miariでの研修は、これまでの僕らの予想を遥かに超えるものだった。これも3人の意見は一致するところだと思う。僕らはそれぞれの感性で意識経験し、記憶を脳内にとどめていた。僕らの脳内にはSantorsoが充満していると言っても言い過ぎではない。だから、本当は僕らの口から発せられる、表出される、あるいは表現される言葉にはSantorsoの意識が内蔵されている。あるいは、僕らの手の足の、そう身体の動きにもSantorsoの息吹が感じられるはずだ。

“場”の雰囲気!そして”凛”とした空気!

4日前の風は、まさにこれらの感覚だった!
Santorsoの訓練室のその“場の雰囲気”を感じた!
Villa Miariのセラピストたちの“凛とした空気”を感じた!

僕が帰国してもう4年も経った。
忘れかけていたSantorsoのその風をAkiが再び日本へ持ち帰ってくれた。
僕はその時のことを思い出し、少し身体が震えた。
脳はもっと思い出せと叫んでいた。
そして、思い出した・・・

熊本では約100人がこの風に吹かれた。
Akiの臨床風景は圧巻だった。
もともと最高の臨床家を自認するAkiの真骨頂だろう。
しかし、それでも「まだまだ,できていない」「研修生たちより凄くだめ」と言う。
それでも実技に入ると「真剣にやるよ!」と言って、患者役のセラピストに対峙した。
この雰囲気だよな、って僕は思ったんだけれど他の受講者は・・・

眼に”魂”が入った瞬間!

そんな彼の眼に魂が入った場面があった。
実習講義の最中でのことだった。
受講者に何をやらせても良くできない。
思考して、セラピストとして思考して行為を生み出してくれれば良いのだけれど…
それもできない。
患者の麻痺した上肢も上手く持つことができない。
そんな場面で「君らは何しとるん」「そんなんで、認知をやって欲しくない」と
Akiは言い放った.
認知運動療法が患者との真剣勝負だということをこの言葉で捉えることができた受講者が、いったいどれくらいいただろう。

これからの日本の認知運動療法は、ここから(再)出発する予感がする。
その発信の場が、僕の故郷・熊本であったことは嬉しいことでもある。
今、僕ら(Shozo,Aki,Koji)が佇む高知にはまだ伝わっていないものである。
この凛とした空気感をもっと広く伝えないといけない!
批判しているわけではないが、書物や論文ばかりで頭でっかちになっているセラピストが多いなか、認知運動療法の真髄は臨床だということをもっと理解しないといけない。

4日前から,このようなことを思考していた。
今朝は夢にまでみた。
そして,それは僕の言葉としてここに表現された。
これを読んでくれたリハビリテーション専門家(理学療法士,作業療法士,言語聴覚士・・・)はどのように感じただろう。

今すぐにでも,“場の雰囲気”と“凛とした空気感”をすべての臨床の場に持ち込みたい気分である.

Grazie mille,Aki!
Certamento,Perfetti,Pante,Rizzello,Puccini,Ise e altre,Grazie mille!!!


認知運動療法にはmanualはない!

背景としての認知理論があり,方略としての認知運動療法がある。言い換えれば、認知過程(知覚-注意-記憶-判断-言語)の活性化です。病院や施設,あるいは在宅で患者と対峙します。そのときに、セラピストは評価や観察を通して仮説を構築しなければいけません。その仮説を検証するためには、認知課題(問題)の構築が必要です。認知課題に対し、患者は知覚仮説をたてます。そして、その仮説を検証する試みが運動療法としての認知です。セラピストは思考し、訓練を創発しなければいけません。患者は自らの身体を通して、仮設を検証しなければなりません。ここに、身体が世界に意味を与える構図ができあがります。多くの若いセラピストには、Akiの言動や行動を観察し、何を僕らに伝えたいのかを理解することができるセラピストになって欲しいと願います。そのことが患者に対する僕らのプレゼントになると信じます。

今から14年前の話しでした。実際、僕は2002年から1年間イタリアでリハビリテーションの臨床研修をさせてもらい、さまざまなことを学びました。僕の帰国後には、”マスターコース”が開始され、現在も続いている。既に、約800名を超えるセラピストたちが患者の回復のためにイタリアまで学びに行っている。現在では、認知運動療法から認知神経リハビリテーション、そして多感覚統合、行為間比較療法へと進化し続けている。なぜ進化し続けるか、師Perfetti教授は以下のように僕らに伝えてくれている。

”他に患者を完全に回復させる治療訓練が出てきたら、いつでもその方略に従う!”

Perfetti教授は偉大ではあるが、このように柔軟な思考の持ち主でもある。だからこそ、そのような人柄に惹かれ、アジアの東の最果てから毎年60人ほどのセラピストがイタリアの田舎町Schioまで出かけてPerfetti先生の講義に耳を傾けるのである。
ただし、現在は残念ながらそのマシンガントークの講義は聞けない

最後まで読んでいただき、どうも有り難うございました。
あなたにとって有益な内容であったなら嬉しいです。

【是非読んで欲しい書籍】
・Carlo Perfetti、宮本省三、沖田和彦、小池美納(翻訳):認知運動療法―運動機能再教育の新しいパラダイム(協同医書出版社)1998
・Paola Puccini、Carlo Perfetti、宮本省三、沖田和彦、小池美納(翻訳):子どもの発達と認知運動療法(協同医書出版社)2000
・Franca Pante、宮本省三、小池美納(翻訳):認知運動療法講義(協同医書出版社)2004
・Carlo Perfetti、小池美納(翻訳):認知神経リハビリテーション入門(協同医書出版社)2016
・Carlo Perfetti、宮本省三、小池美納(翻訳):失語症の認知神経リハビリテーション(協同医書出版社)2018
・Carlo Perfetti、Franca Pante、Carla Rizzello、Marina Zernitz、宮本省三、江草 典政、小池 美納/朝岡 直芽(翻訳):疼痛の認知神経リハビリテーション(協同医書出版社)2020

投稿者: コージーニ先生

リハビリテーションセラピストです。現在までに約15万人の患者、その家族及び学生と保護者とかかわりを持ってきました。その経験から患者とその家族&子どもたちと学生たちとの人生に寄り添って感じたこと、学んだことの中から「過去の僕」に知っておいてほしいコト&「未来のみんな」に伝えたいことを呟きます。 著作や詳しい活動履歴はこちら→ https://kojini'sblog.com/about

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