【管理】「ポモドーロ・テクニック」相談室!-休憩編(1)

この1週間、「ポモドーロ・テクニック」に関する記事をこのBLOGとTwitterに書いてきましたが、遂にお悩み相談を受け取ることができました…嬉しい、初です!
以下のような、Twitterによる「休憩の“上手な”取り方」のご相談でした。
ここでは、「ポモドーロ・テクニック」実践人としての解決策を提示します!

ポモドーロ・テクニック」では、1ポモドーロ(以下、1ポモ)後に必ず5分間の「休憩」を挟むことになっています。これは、それまでのタスクをすっとリセットし、次のタスクへ向き合いやすいようにするためです。もちろん、シリロ氏によれば、「人間の集中力は25分で限界を迎える」という研究結果から応用していることでもあります。

だから、「休憩」の入らない25分の連続では決して効率の良いタスク(仕事)にはならず、どこかで落とし穴…例えば、ケアレスミスタイプミスなど…を起こしてしまい、仕事量はこなしたけれども正確性に欠け、最終的には仕事ができないスタッフとみられてしまうマイナスに陥ってしまうことになります。このような結果は、誰しも避けたいと考えるのが本当のところだと思うのですが、世の中の多くの職場を俯瞰してみると、なかなかどうして「休憩」と呼ぶには超短すぎる時間しか取れていない…例えば、コーヒーを一口飲む、背伸びする、他…のではないかと思われるのです。

当然、僕もとても悩む時期がありました。もともと怠け者の要素をたぶんに含んでいる上に、自分にとっても甘い性格だったので、タスクとタスクの間には脳に休息を取り入れる必要が絶対的にありました。しかし、周囲の先輩、同僚は慌ただしく次の場面に突入していき、仕事をこなしていました。模倣を試みましたが、僕にはなかなかできませんでした。以前の僕はそのような感じで仕事はマイペースでしかできませんでした。
今でこそ、このテクニックに出会い、実践者となり、サクサクとタスクを仕上げていっていますが、これまでの道のりは相当に長くツライものでした。ですから、上記したtwitterの悩みは本当に良く理解できます。実は周りもわかってはいるが、なかなか受け入れられないと言うことも理解しています。

ここでは、最初に“職場における休憩の問題点”を整理するため、以下の5つのテーマに「分解」し、これらを軸に話しますね!職場で困ってるとか、時間管理で困ってるとか、もっとスムーズに仕事がしたい人に向けた情報になります。管理者側からすると、スタッフの困りごとを問題にしないよう「課題」として捉え対応するための情報になります。尚、後日別のBLOGで、これらへの対応方略について書きたいと思います。

  • 小さな声「ちょっと休憩します」が言えない
  • 言えたとしても他のスタッフに気が引ける
  • そもそも休憩と言う「文化」がない
  • 休憩しないことが仕事人としての「美徳」である
  • 「忙しい」という言い訳が通用する

小さな声「ちょっと休憩します」が言えない!

職場の仕事環境や内容には、同じような仕事内容を同じようにこなしていくものと、まったく違う内容を同じ時間でこなしていくものがあると思います。
今回のご相談は、前者のになります。こちらの問題は、全員が同じ内容(厳密には違いがありますが)同じように仕事を進めていくため、1日に対応できるタスクの量が一定であるということです。

例えば、僕の前職(セラピストとして病院勤務)の場合、1日の担当患者は20名程度、1時間の中に3名ずつ治療訓練していくサイクルです。ある日の患者は、前日の患者とは体調等で変化があり、特にネガティブな場合には、時間が1.5倍くらいかかることもありました。そのような状況で毎日変わらず患者を治療していくため、ある意味自転車操業的な感覚に陥っていました。

当然、時間的しわ寄せは休憩時間確保に現れます。休憩は「お昼休み」と「トイレ」だけということになってしまっていました。周囲スタッフも同じようなスタイルなので、どのような状況(体調が悪い、落ち込んでいる、等)でも「✖✖なので、5分だけデスクで休憩します」とはなかなか言えない状況でした。

今、ここで以前の僕には、何のために休憩が必要なのかを考え、少しの勇気を持って、「休憩が必要だ」と言ってしまおうと言ってあげたいですね!

言えたとしても他のスタッフに気が引ける!

もし、言えたとしてもなかなか実行できない状況だったかも知れません。スタッフ全員が同じように仕事している中、ひとりだけ休憩が長い(5分でも長いと感じる)と、「あの人、休憩長いよね」「ちゃんと仕事してよ」のような声が聞こえてくるような気がして仕方ありませんでした。

しかし、よくよく考えてみると、このように休憩がとりたいなと考えていたのは、実はひとりだけではなかったのではないかと言うことです。周りもそのように考えてはいたけれど、みんな同じように言えなかったし、言えたとしても周りのスタッフの手前休憩はサッと切り上げて次のタスクへ移るという繰り返しに陥っていたようです。

以前の僕には、「周りも巻き込もう」「みんなで休憩とれるよにしよう」と言って、ひとりでも実行し始めることを勧めたいと思います。

そもそも休憩と言う「文化」がない!

今でもこのような仕事場があると聞きます。いわゆる「ブラック企業」です。しかし、以前は、〇〇のために時間を惜しんで働くことが会社のためになるんだという、先輩の教え企業文化悪しき慣習に振り回され、個人の権利等は二の次にされていました。
今では、この点は社会の変化や国が求める「働き方改革」のおかげで、ある意味大手を振って個人的意見を堂々と唱えることができるようになりつつあります。

社会は変われど会社は変わらず…個人の習慣や癖もそうですが、長年培ってきた悪しき慣習(今はそう思える慣習のこと)は、一朝一夕に変えれるものではありません
例えば、新社員、特に女子が会社ではお茶を淹れることが、あたかも仕事の一部として暗黙に了解されていた事実が物語っています。今では、そのような会社はないと思いますが…まだあるのかな?

「文化」がないと言うことは、「休憩します」と言ったところで、それは無理だということに直結します。まずは、「休憩」という概念を啓蒙する必要があります。啓蒙と書かせてもらったのは、休憩という文化がない「不毛の場」だと捉えているからです。
概念の啓蒙から始め、少しの概念理解が生まれてきたら、次は職場での「休憩の必要性」の啓発活動に取り掛からなければいけません。

企業文化を変革するとなると、何重にも壁があるため、取り組んでいる者の方が、先に疲弊してその場にいられなくなったり自ら逃げ出していくことになるようです。これでは、毎回振り出しに戻るの繰り返しで、残念ながら変革は起こりませんね。

イタリアでは、仕事の効率が下がってくると必ず立ち上がり「ちょっとBarに行ってくる」と言ってスッといなくなり、10分ほどすると普通に仕事に戻ります。メリハリの付け方がとても上手だなと感心したものです。

以前の僕には、「とんかく小さいことから」「コツコツとやり続ける」「仲間をつくろう」「あきらめない」ということを提案したいですね!

休憩しないことが仕事人としての「美徳」である!

日本の会社では、「一生懸命」を履き違えている場面が多いように感じます。
特に、時間なんて関係ない「不眠不休」で働く仕事することが「美徳」として語り継がれ、企業文化や会社の風潮となっていると言っても過言ではないかも…

あるいは、現在でも〇〇さんは「休まず仕事してスゴイ」とか、「休まず仕事できて若い」とか、その人が休まないことを素晴らしいものと捉えてことばにしている瞬間によく遭遇します。これは、日本人の「無意識発言」のひとつですね。

残念ながら「他者を褒める」という文化が足りない日本では、このような言い回しが根強く残っているのでしょう。
例えば、僕が住んでいたイタリアでは、真逆です。「素晴らしい」「なんと素敵な〇〇」等、とにかくびっくりするくらい褒めちぎり褒めまくります。イタリア人のこれも「無意識発言」になっていますが、僕が研修先の病院で治療が上手くいくようになった患者さんに無意識に「今の動きは素晴らしいね」と言えるようになるには意識して3ヵ月ほど掛かったことを思い出します。それだけ、国の文化とは違いがあるものです。当然のことながら、各企業の文化にも違いがあることは理解できます。

イタリア生活はもう20年前になりますが、僕の意識はこの時期に大きく変革されました。もちろん、もともとイタリアのような文化に合う性格だったことも功を奏して、帰国後は職場の環境や文化の変革に乗り出しました。

以前の僕には、休まないことは「美徳」ではない。休んで自らをコントロールし、他者のことを100%考えること、利他の心こそが「美徳」だよと言いたいですね。

「忙しい」という言い訳が通用する

最後に登場するこの思考は、会社、企業の問題ではなく、あなたや僕自身の問題です。
仕事ができないことや上手くやれないことが、この「忙しい」からということばによって修飾されたとき、なかなか反論できない状況に陥ってしまいます。

「忙しい」のは個人レベルのことですが、個人が感覚することであり、その閾値の違いである時間ある人数ある量に関する捉え方は残念なことにさまざまです。
この点は、後輩指導等で難しさを感じておられる方も多いのではないでしょうか。あるいは、先輩方の中にはこのことばを盾に、実際にはそれほど仕事をしていないという方々も潜んでいます。

本当に忙しいのであれば、企業の業績は上がり、上がった分でスタッフが新規採用され、相互の仕事内容や量は働きやすいもの(環境)に変わるはずなのに、そのような感覚を日本ではあまり受けないイメージがあります。特に、朝夕の通勤に満員電車に乗車し、約2時間もかけるような「働き方」以前の問題をスゴイのひとことで片づける日本は、世界からは実は変な目で見られていることに気づいていません。

イタリアでは「忙しい」は個人の能力の問題として既に解決済みです。定時の勤務時間はありますが、その日の仕事が早く済めば…これは個人がプランして早く終わらせていると言うことに後日気が付いたわけですが…2時間ほど早上がりして作った(浮いた)時間で、次の仕事への個人的なスキルアップのためのセミナーを受けるとか、ボディメンテナンスのためにジムに通ったりしている姿が日常に溢れていました。ですから、帰国後の僕はそのギャップに相当苦しんだとお話ししても納得ではないでしょうか。

ここで質問です!このようなイタリアで言う有意義な2時間を日本で作った場合、
どのように運用していると思いますか?
あるいは、あなたはこれまでどのように運用してきましたか?

きっと、誰かの手伝いを言い渡されるか、自ら手を挙げて手伝うかのどちらかではありませんか。そうなんです。日本ではこれが定番、鉄板の「浮いた」時間の運用です。
イタリアでは、他者の手伝いは簡単にはやりません。これも文化と言ってしまえばそれまでですが、これをやってしまった場合、その後の他者の評価はどうですか。
あなたにも経験があると思いますが、「あの人は仕事が遅い」「(だから)あの人とは同じ部署になりたくない」等々、きっと陰ではこのように言われていることでしょう。
イタリアでもこのことは同じですが、対応が違います。このように言わないために手伝わないわけです。考え方の表裏のように感じますが、どちらがよくて、どちらが悪いとは、理由を知ってからは言えなくなりました。今の僕はイタリア寄りの思考です。

長くなりましたが、ここでは“職場における休憩の問題点”を整理するため、以下の5つのテーマに「分解」し話しをしてきました!身に覚えのあることが多数ではないでしょうか!

  • 小さな声「ちょっと休憩します」が言えない
  • 言えたとしても他のスタッフに気が引ける
  • そもそも休憩と言う「文化」がない
  • 休憩しないことが仕事人としての「美徳」である
  • 「忙しい」という言い訳が通用する

これらのことを問題と捉え、解決すべく現在まで取り組んでいます。その内容に関しては、後日別のBLOGで書きたいと思います。
しかし、何かひとつだけ伝えてもいいと言われたら、間違いなく「ポモドーロ・テクニック」をオススメします。このテクニックの構造にある「25分=1ポモドーロ」後にくる「5分=休憩」をスマートに使うことこそ、先述の問題解決に直結することになると考えています。このテクニックについては、以前にいくつか書いているので、職場で困ってるとか、時間管理で困ってるとか、もっとスムーズに仕事がしたい人にとっては、きっと有益な情報になると思います。

今日も最後まで読んでいただき、どうも有り難うございました。
この情報があなたにとって有益な情報であれば嬉しいです。
また、何か質問等あればコメントしていただけると次への励みになります。
それでは、また。
Ciao☆彡

投稿者: コージーニ先生

リハビリテーションセラピストです。現在までに約15万人の患者、その家族及び学生と保護者とかかわりを持ってきました。その経験から患者とその家族&子どもたちと学生たちとの人生に寄り添って感じたこと、学んだことの中から「過去の僕」に知っておいてほしいコト&「未来のみんな」に伝えたいことを呟きます。 著作や詳しい活動履歴はこちら→ https://kojini'sblog.com/about

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