【思考法】イシューからはじめよ-TEDxUTokyo 2012-Kazuto Ataka-Issue Driven

今日は『イシューからはじめよ』の著者安宅和人氏の2012年5月20日に実施されたTEDxUTokyo(UTokyoは東京大学のことです)のYouTubeの内容を文字お越しさせていただいたので、「イシュー」や「イシュードリブン」に関心があるあなたにシェアしたいと思います。これが『イシューからはじめよ』前夜という感じでしょうか…ここから「イシュー」や「イシュードリブン」という言葉や思想が拡散して言った記憶があります。
是非、安宅氏のインテリジェント溢れる動画もご覧ください。
尚、安宅氏の独特で特徴的な言葉遣いに関しては、こちらで修正して掲載しています。


はい、あの、安宅です。Yahooから来ました。

今日は知的生産に関する一般的な話なんですが、まあいろんなことを話ができたらなぁと思います。

【知的生産とLabor領域 Labor zone vs. Production zone】

知的生産というのは、広いわけですけれども、ここで言いたい議論は、その横にある知的生産的に見えるんだけども、いわゆるLabor領域としか思えないところなんです。

それをちょっと除いて、サイエンスであろうと、エンジニアリングであろうと、はみ出てる部分がある。ここは考えてない。こういう、なんかちょっとはみ出ているその部分はちょっと無視しましょう。製品デザインであったり、まあいわゆる問題解決のプロジェクトだったり、データ解析とか、僕のいるところはアクセス解析だとかわけわからないところがいっぱいあるんですけれども、こういったことを議論できたらと思っています。

こういう領域において、そもそも知的生産というのは一体どういうところが価値があるものであって、何がそもそも落とし穴で、どの辺にポイントみたいのがあるかなということについて、私はあの割とサイエンスとビジネスの間をコロコロと行き来して生きてきたので、その中で気づいたことです。ちょっと皆さんと考えたいと思います。

そもそも知的生産と言うことを考えようと思うと、生産性とは何かと言う話になるわけですが、山のような分析をするとかですね、非常にファットなレポートを叩き出すとかですね、まあその他いろいろいろんな考えがあるんですけれども。

最初に考えているところの生産性の定義、もともとものすごいシンプルです。いったいどれだけのインプットでどれだけのアウトプットを叩き出せるか、もうこれだけにつきます。
これが知的生産というなんだかわかんない領域になると何を意味しているのかが非常に問題なわけです。

皆さんが道路を作るとか、まあガーって作った分だけ生産されるんです。これが我々の知的生産活動だったとして何を意味しているのかよくわからないんです。箱を作るのでも箱はできると。野菜を作ると野菜ができる。知的生産は何を作っているのかよくわからない。ここがポイントです。

結局のところinputというのは、いったいどれだけの労力なり時間を投下して、どれだけの価値を生み出せるかということになるわけです。

ここから生み出された価値ですね、あのこのバリューというところがなんだか意味してないと、ちっともわからない話になると思ってます。
ここで生み出される価値ってなんだろうということです。僕は四六時中このことを議論してるんですけれども、前からです。質が高ければいいとか、非常に丁寧な仕事だったらいいとか、誰もできない仕事だったらいいと、いろんなことをみんな言うわけです。

よく考えてみると、質が高ければいいっていうのは、バリューを質に置き換えているだけで、何を意味しているのかちっともわからない。丁寧なだけだったらいいって言ったら、ちょっと皆さんいろんな、自分の周りの仕事とか、読んだ論文とか見ていただけるとわかると思うが、丁寧だけど価値がないものは山のようにあるんですよ、世の中…山のようにあるんですよ…これはすごい大事なポイントです。もう今の瞬間わかりますよね。

3つ目の誰もやれないこと、これは、やる価値がないから誰もやってないんです。そもそも誰もやったことがないことに、価値なんて値段も付けられないじゃないですか、それだって、なんかもうおかしいんですよね、これは。
それでは、それは何だって言うことをちょっと考えたい。



私が思うに、これには2つ大きなポイントがあるんじゃないかなと思っています。

ひとつは当然のことながら、皆さんが取り組まれる問題に対する課題、その課題に対する答えの質です。解の質と、これはもう間違いなくあります。
もう1個が大事なんですけど、あんまり議論されない。これは非常に重要なんですけど、この解いている問題の質(数)これを僕はイシュー度と読んでますけれども、これだと思ってます。このイシューって言葉がなんちゅうか理後の大和言葉てきです。ほとんど頭に入らないんで、ちょっと、若干説明したいんですけれども。

まあ、ひとことで言うとですね、ケリをつけなくちゃ行けないんだけれども、白黒はっきりしない、これがイシューです。こういう文脈で英語ではガンガンでてくるんです、いわゆる問題だけとも違うし課題だけでもちょっと違うわけです。でもとにかくケリつけなきゃ、白黒つけるのがイシュー、したがってイシュー度ってのはものすごく単純で、今我々が置かれたその我々と言うか自分が、置かれた局面でそれに対してはっきりと答えを出さなきゃならない度合いです。その度合いが非常に高ければイシュー度も非常に高い。したがって、解の質も非常にクリアです。それにどれだけ明解にケリをつけているかと、これが解の質になります。

これを考えると、さっきのマトリクスに戻って来ます。ここに何か異様な黄色い領域がありますよね、ここの意味をちょっと考えると、これは一言で言うとですね、no valueです。

これはもう知的生産に関わる人で、プロフェッショナルその他もろもろでも致命的なことなんです。お前のこれno valueだよって、結構致命的なんですけど、死の言葉に近いですよね…

僕が前仕事はじめた頃に、僕の同僚は、3日3晩寝ないでやってきたレポートを見たある上司は、「こんな分析が存在しない方が世の中のためだ」と言い放って、その彼はほとんど失神しそうになって、もう返りますとか言って…覚ええてますよ、それってこれですよね。

これってno value zoneなんですよね。

no value zoneの意味合いとして、最初に私がお伝えしたいことは、イシュー度の低いものはなんの価値も生まないと、これはもう野菜を作ってるとか、道を作ってることとは、根本的に違ったポイントです。何かやっていたら何か生まれるってことはないんです。知的生産の時には、とにかくイシュー度をが低いことは何の価値も生まないと、これがひとつ重大なポイントです。



だとしたときに、我々はどうやって右上に行かないんですよ、誰だって最初はここからはじまります。私もそうでした、もうわけわからないあことばっか言って、もう全然価値がなかったです。みんなそうだと思うんですよね…最初は、どうやって上がっていったらよいかっていうのを聞くことです。

とにかくがむしゃらに頑張ったらいいんじゃないですかとか。もう一回分析を全部やりましょうとか。もうしまいには果報は寝て待てと…何かいいこと思いつくんですよ僕はとか、わけわかんないことを言ってる奴がいる。絶対思いつかないです。ですから、これちょっと違うんですよね。

ありがちなアプローチというのは、こういう、もう思いつく限りのすべてのことをがむしゃらにやって右上に上がろうとする。これを僕は「犬の道」とよんでいて、もう致命的だと思っています。これをやることは非常に良くないと思っているんですよ。

なぜなのかと言うことを簡単に説明したい。

これは、このマトリクスの中で、我々がふつうに取り組むであろう問題だと言われている問題、それとアウトプットをどんな感じで分布してるかなと、経験的なものでです。ザクっとプロットすると大体こんな感じです。非常に世の中の問題とかは左寄りによっていて、はっきり言って、やって意味がある問題というのは100個あって2個か3個くらいしかないと。このうちの半分くらいしか答えは出ない。たぶん100本に1個くらいしかやって意味がない。ある問題がない。しかも、スキルレベルの低い未訓練状態ですと、下にガーって寄ります。解の質そのものが低いと言うことで、1/100掛ける1/00だけで1万分の1ぐらいでしか価値のあるものは生まれない可能性が多々ある。

これがまあ、非常に問題で、要はこういうことをやっていると人生は棒に振ってしまうわけです。2、30年くらい一瞬にして過ぎ去って、過去20年何やって来たんですかと聞かれても…説明できない人生になっちゃうんです。気が付いたら80、100になり増したみたいな感じになるわけです。そういう名を腐して生きて行かないためには「犬の道」はよくない。

これを止めるためにはどうしたらいかって事は、かなりクリアだと僕は思ってまして、とにかくイシューの高い問題だけに絞ると、100分の1に絞れない。普通回りの人、知恵のある人に聞いていれば、1/5なり1/10に絞ることができます。そうすると、一つの問題に投下できる時間は平気で5倍、10倍になるわけです。

そうすると、ふつうは「解の質」は上がっていく。それを投下できる時間を上げて、「解の質」を上げることでこの分布がちょっとずつ上に上がりますから、まあ徐々にスキルも上がっていく。これの左回り道ではなくて、右からくーっと回ると「脱犬の道」です。この脱犬の道を皆さんに是非シェアしたいと思ってます。

日本人は何と言うか、生理的にIQが高かろうが、学歴が高かろうが、何だろうが、あの東大出てても、ハーバードビジネススクールに行ってても、何かよくわかんないけど「根性に逃げる」んです。これは私が大量にこういう職場ばかり見てきたのでよくわかるんです。本当にそうなんですよ。一流企業行って最高の一流の人と働いてもそうですし、わりとそうなんです。

ですから、その考えは間違っているたぞと…そういった竹槍を特攻隊的な考えはもう21世紀の我々のシチズンには向かないということです。

もう一回、「脱犬の道」を頭の中に強く置いて、根性に逃げないということをやっていけると、この先ほどから立ち上がっているこのような希望に満ちた我が国は必ずしや、よっぽど楽しい21世紀が待ってるぞとという風に思っています。

これが頭の中にないと、1週間に何かやりましょみたいな、まあ良くありがちなケースで何のアイデアも浮かばなくて、何となくウ~んとなって、まあ2日くらい経っちゃって、なんかわかんなないけども書類をかき集めてきて、もうこれで水木と過ぎ去って、金曜に途方に暮れると…こういう「死亡遊戯を」しちゃうわけです。

「死亡遊戯」しちゃうところをそうじゃなくて最初に、やっぱりちゃんと、はっきりケリつけるものは何かと見極めた上で、その中でそうやって見てみると、砕いていって、3つか、4つだけほんとにポイントになるものが出てくる。そこに絞り込んで100個の分析の代わりに、3つか4つ、まあこんな感じのアウトプットだというのを明快にしまっす。外れたら外れたで、自分の仮説が間違っていたというだけで、ファインディングなわけです。そこでそれに向かって100の分析じゃなくて、3つなり4つでしっかりやってまとめるということをやると、さっきのような「死亡遊戯」にはならない。

と言うことで、基本的には、「no value」にならないためには、「イシューからはじめたい」ということを考えに置いておくと、かなりハッピーに生きていけるんじゃないかと。

それで、我々としては、相当明るい未来が更に回ってくるというのが、私が伝えることができたらと思っていたことです。以上です。


いかがでしたか?
もっと、もっと「イシュー」や「イシュードリブン」について知りたいなって思っていただけたのではないでしょうか☆彡そう思っていただけたなら、とても嬉しいです☆彡

今後も「イシュー」や「イシュードリブン」に関することをアップしていきますので、どうぞよろしくお願いします。

それでは、また!Ciao☆彡


投稿者: コージーニ先生

リハビリテーションセラピストです。現在までに約15万人の患者、その家族及び学生と保護者とかかわりを持ってきました。その経験から患者とその家族&子どもたちと学生たちとの人生に寄り添って感じたこと、学んだことの中から「過去の僕」に知っておいてほしいコト&「未来のみんな」に伝えたいことを呟きます。 著作や詳しい活動履歴はこちら→ https://kojini'sblog.com/about

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